祇園は観光地ではない!訪日外国人急増の裏で失われていく京都の姿。
2016/01/23
空前のジャパンブームが吹き荒れている。
2015年の訪日外国人の総数は1900万人を突破。今後も2019年ラグビーW杯、2020年東京オリンピックなど国際的なスポーツイベント、アジアの経済成長や円安を背景に増加が続くとみられている。
政府も2020年の目標を2000万人から3000万人に上方修正した。
2014年、京都市内の外国人宿泊者数が過去最高を更新し183万人となった。このデータから算出すると2020年の宿泊者数は約400万人と予測される。
『爆買い』などの経済効果で恩恵をもたらす半面、宿泊施設の不足、治安やマナー、京都古来の文化の維持など懸念される課題も多い。
更に増加していく外国人観光客を受け入れるだけのキャパが京都にはあるのだろうか?
今回は各方面から聞こえてくる懸念や現状への危機感にスポットを当てて、これからの『京都』を考えていきたい。
祇園の風情が失われつつある危機
この祇園も外国人観光客で溢れかえるスポットだ。
祇園町南側には昨年12月に『芸舞妓を触らない』、『食べ歩きをしない』と呼びかけるイラスト入りの高札が立てられた。
祇園町南側地区協議会の会長は「祇園はテーマパークではない。舞妓さんをミッキーマウスのようなキャラクターと勘違いして扱う人がいる。」と憤る。
更には、芸舞妓が追いかけられたり、お茶屋や置屋に無断で侵入しカメラ撮影されたりと怖い思いをしているという。
外国人観光客にしてみれば、日本の文化を生で体験できるテーマパークのように映るかもしれないが、芸舞妓さん達にしてみれば恐怖以外の何物でもない。
食べ歩きをしゴミを放置するなどの行為も散見されるようだ。このまま放置すれば祇園の風情が失われ、なじみ客が離れるとの危機感を募らせる。
同協議会の中からは「祇園は観光地ではない」と宣言するかという意見さえ出るほどに事態は深刻だ。
次々と押し寄せる外国人観光客に祇園のマナーとルールを守って貰うというのは至難の業だろう。
経済効果なくトラブルだけが増える業界
祇園の飲食店主は「無料で見学できるからと訪れる人が多い印象だ。お金を落とさないのにトラブルに悩まされる。外国人はお断りしたいと思うこともある。」と漏らす。
実際、お店を訪れたからと全ての人がお金を落とす訳ではないのは業種に限らずの話だが、どうもマナーが悪くその店で食事をしている客や本当に買い物がしたい客の妨げになっているケースも珍しくないようだ。
インバウンド効果を得るために許容しなくてはいけない負の部分ではあるのだろうが、京都という町の特性からするとそれがイメージやブランドの低下にも繋がりかねない。
今後、さらに増加する外国人観光客をどう受け入れるのかは、行政の対策と個々の地域や企業、団体、お店それぞれが手を打つ必要があるだろう。
宿泊施設不足による民泊解禁の弊害
訪日外国人を受け入れる問題として最も深刻なのが宿泊施設の圧倒的な不足だ。
2015年の客室稼働率は約88.5%とほぼフル稼働している状況だ。京都の観光最盛期である紅葉のシーズンは通常1泊1万円の客室が4万円に跳ね上がるなど異常なケースもあった。
京都市は『世界が憧れる観光都市』を旗印に、インバウンド効果に期待を寄せるが、それを受け入れるインフラが整っていないのは明らかだ。
そこで、急浮上しているのが『民泊制度』だ。確かに表面的に聞くと空き家や空室を利用して宿泊施設の不足を解消できるなら一石二鳥ではないか!と思ってしまう。
しかし、現実には昨年末に無許可営業の業者が書類送検されるという報道があった。この無許可で宿泊させていたマンションや近隣の住民からは多くの苦情やクレームが市に寄せられている。
前述の祇園のケースと共通する、マナーや慣習による摩擦だ。この民泊に関する最大の問題は生活エリアに代わる代わる不特定多数の外国人が入り込むということ。
民泊施設の周辺で生活する住民は日常的にこれを受け入れる覚悟がいるという事まで理解が浸透しているのだろうか。
勤め先での観光客の対応とは次元の違う負担を、どれだけの人々が理解し覚悟しているのかが焦点になってくるだろう。
騒音やゴミ捨てのマナーなど苦情も深刻だが、警察関係者から「犯罪の拠点として利用される恐れは十分に考えられる。さらに民泊での外国人観光客の実態を完全に把握するのは現実的には不可能だ。」との声も漏れ聞こえてくる。
本来、宿泊施設ではない建物を利用することに想像力を働かせ立体的に考えれば、問題点は簡単に浮かび上がる。
それをどうのようにクリアし民泊解禁を迎えるかは非常に重要な課題であると思われる。
まとめ
時代に沿って変化に対応することは必要である。
しかし、変わらずに守るべことが価値に繋がるものもあります。
京都として様々な状況で外国人観光客との問題にどう向き合うかを真剣に考える岐路に立っているのではないだろうか。
少し無理をして強引に受け入れることは可能かも知れないが、ブームが去り我に返った時に決して手放してはいけないものまで失っている事がないようにしたいものだ。